「cicada」/ 座長挨拶

 先月の1月25日に終演した「cicada」という作品について、今更ではありますが、書き綴っていこうと思います。実際のところ、終わってしまった公演について言及するのは好みではありませんが、今回の「cicada」という作品は再演であり、次にまたこの作品に触れるのは、きっとずいぶん先の話になるでしょう。

 

 今回に限っては、北川純、安藤玲を始めとする登場人物達に、一旦のサヨナラを言う機会を設けても良いのではないかと思っております。

 

 いつかのコラムで再演としての「cicada について言及しましたが、初演版、再演版の最大の違いは、ヒロインである安藤玲の生死であります。見てくださった方はお分かりかと思いますが、今回上演した再演版「cicada」では、今までの記憶を失くしたことによって、新たに生き直す玲の姿を描きました。しかしながら初演版では、憎んでいた父親に対する、唯一の肉親であるが故の愛によって自ら命を絶つという形で、彼女の物語は終わりを迎えました。思い起こせば、初演版の「cicada」は私が初めて登場人物を「殺した」作品でありました。

 

 彼女の死を描くに当たって、数日間筆が止まったことを今でも覚えています。

 

 これは職業作家の道を目指している者として、悪しきことであると、重々承知していることではありますが、だからこそ、安藤玲という人間が生きていたらという、「もし」を見てみたくて、再演版の「cicada」は完成したのではなかろうかと思っております。

 

 

 なんだかくすぐったいような気持ちで、今この文章を書いています。

 だって、自分で自分の作品を終わった後にこうでした、こういう想いがありましたなんて、お客様にとってはどうでも良いことですし、それに後付け解説をしているようで、恥ずかしくて仕様がありません。もっと多くを語ろうと意気込んでパソコンを前にしましたが、なかなか言葉になってくれないのが、現実であります。

 

 きっと「cicada という作品を再び上演するとしたら、私が40代、もしくは50代になってからでしょう。その時には、新たなキャスト、新たな演出で、それぞれの登場人物たちは今回のものと全く違う生き方をすると思います。だからこそ、今回舞台上で生きてくれた登場人物、キャスト、スタッフさん、そしてお客様に、最大限の感謝を抱きます。

 

 我々には「次」しかありません。再び、劇場でお会いしましょう。近日中、重大なご報告がございます。そちらも合わせまして、どうか今しばらくお待ち下さい。よろしくお願いいたします。

 

 

 座長・脚本・演出 菊地史恩